女優・タレントとして天然キャラが幅広い世代から人気の三田寛子(みた・ひろこ)さん。
歌舞伎俳優の中村芝翫(なかむら・しかん)さんと結婚してすっかり梨園の妻の三田寛子さんですが、ご実家は京都の呉服屋で、両親と弟さんがいる4人の家族で育っています。
でも、お父さんは呉服屋の商売をたたみタクシー運転手に転身されていたようなんです。
お母さんや弟さんもどんな方なのでしょうか。
今回は、三田寛子さんのご家族にスポットを当てて、ご紹介していきたいと思います。
三田寛子の実家の家族構成
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三田寛子さんのご実家の家族構成は父・母・本人・弟の4人家族です。
- 父:裕三さん
- 母:明美さん
- 本人:三田寛子さん
- 弟:非公開
それぞれ詳しくみていきましょう。
三田寛子の実家の父はタクシー運転手で元呉服屋?
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三田寛子さんのお父さんは、稲垣裕三(いながき・ゆうぞう)さんで京都で戦前から続く染め物を扱う呉服屋さんだったようです。
紋付きに使う生地を黒く染める、黒染め屋さんだったのですが、戦後の着物文化の衰退で家業が傾いてしまったようです。
お父さんが実家を継いだ時期には不況に立たされていて、残念ながら商売をたたみ、タクシー運転手に転身されました。
三田さんは、京都市下京区の出身で、出身中学は『京都市立七条中学校』です。
住所は『京都市下京区御陵町(ごりょうちょう)』というところにありますね。
その為、ご実家はこの辺りにあったのではないでしょうか。
この辺りには『七条通り』と呼ばれる大きな道路沿いに商店が点在しているエリアでもあります。
半世紀前からある歴史のある商店街で、老舗店の高齢化が進み閉店されるお店も少なくありません。
時代と共に周辺が様々に移り変わる中で、老舗商店の経営は厳しかったのでしょうね。
お父さんはタクシー運転手としてお仕事されている為、「三田寛子のお父さんのタクシーに乗った!」という目撃ツイートを見つけました!
年賀状書きながら相棒観てたので、半分過ぎるまで橋之助さん出てたのに気づかなかった。書いてる間は下向いてるからw 若い頃はいちばん好きな歌舞伎役者さんだった。ちなみにわたしの結婚式前夜に三田寛子さんのお父さんのタクシーに乗ったなー、京都で。どうでもいい思い出。
— 柴田よしき (@shibatay) January 1, 2014
ウチの母
祇園で働いてた事があって
タクシーで行き帰りしてた時があったんですけど
なんと運転手さんが三田寛子さんのお父様
母親が子供が音楽ばっかり聴いて。
運転手さんは娘デビューしたんです
「三田寛子」
母親「子供聴いてます!」って事を興奮気味に夜中叩き起こされて聞いたのは忘れませんw— ハヤトモ🌈muzikrecord (@ht_muzikrecord) May 28, 2020
今何かと話題の三田 寛子のお父さんが
京都で個人タクシーやってたんだけど
たまたまそのタクシーに乗ったことがあって
車内中に三田寛子の写真が貼ってあったんで
「三田寛子さんのお父さんですか?」って聞いたら
満面の笑みで「わかります」って言われた— 〆鯖 (@shimesaba_fc2) September 23, 2016
タクシーの車内に三田さんの写真が飾っているみたいですね!
お父さんだと当てられて満面の笑みで返すお父さん、三田さんは”自慢の娘”だということが伝わり、ほっこりします。
父の教え
三田さんは、呉服屋で生まれ育ったので、幼いころから着物に馴れていました。
お父さんから『着物を着る際の礼儀や知識』を叩き込まれていたことで、梨園の社会の中で生活していく上で役に立ったそうです。
おかげで名門の歌舞伎一族である中村家にも認められて、歌舞伎俳優の中村芝翫さんと25歳の若さで結婚。
歌舞伎は、着物一つでも夫や自分より目上の人たちより目立たない色を着なければ反感を買うシビアな世界です。
三田さんは、“ほどよく地味で、粋な着物”を選び、周囲を引き立たせることで評価を上げていたそうですよ。
お父さんから他にも、
と厳しく教えられていたようです。
お父さんの「泣いて逃げるな、女の子は笑顔が大切なんだ」という教えは、梨園の妻の仕事をきっちりこなす上で、教訓になったいたのかもしれません。
呉服屋で培ったセンスやお父さんの教えのおかげで、三田さんは梨園の妻たちの中で中心的な存在になっています。
三田寛子の母は?
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三田寛子さんのお母さんは、稲垣明美(いながき・あけみ)さんで2008年、ガンで余命3ヶ月を宣告されて亡くなられています。
三田さんはご家族に頼んで、お母さんとの最期の時間を作ってもらったそうです。
毎週末京都まで通って、それまでの空白を埋めるように、最期の時間までゆっくり過ごした母と娘。
寛子さんが関西の仕事へ向かう時、マネージャーさんに「よろしくお願いします」と挨拶した時の言葉が、お母さんの最期の言葉となったようです。
三田さんのインスタグラムには京都に帰省し、お墓参りに行った際の写真とコメントが投稿されていました。
定期的にお母さんに会いに行かれているようですね。
母との思い出
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三田さんのお母さんは、生前は保育士をされていたそうです。
三田さんは15歳でデビューのため上京し、実家から離れています。
お母さんは、娘を応援し活躍を喜びながらも、同時に淋しい思いもされたのではないでしょうか。
三田さんは『サワコの朝』(TBS系列)に出演された時、お母さんについてを語られる場面がありました。
お母さんは菅原都々子さんの『月がとっても青いから』という曲がとても好きだったそうです。
お母さんとの思い出の曲だと語る三田さん。
♪「二人っきりで サ、帰ろう」
引用:月がとっても青いから 歌詞
特に歌詞のこの部分がお気に入りなんだとか。
『月がとっても青いから』を歌われる菅原都々子さんの動画はこちらです。
↓
どこか懐かしさに溢れる優しい歌です。
この曲に対し三田さんは、
常にやっぱり母っていう存在が心のオアシスみたいな気持ちもあったし私が知ってる中で誰よりも優しくて誰よりも強くてほんとに頑張って人生を全うした人だと思うんで。
これやっぱりラブロマンスの歌でね、お父様のことがすごく好きだったのかなっていうイメージがあるんですけど勝手に。引用:サワコの朝 インタビュー抜粋
大恋愛で結ばれたお父さんとお母さんが、「夢をいとしく抱きしめて2人で帰ろう」って頑張った歌だと語っていました。
たった15歳で芸能界入りするときに「転んでも滑ってもただで起き上がるものか」と誓った三田さん。
辛い時にはこの曲を思い出し、自分を励ましながら頑張られていたのでしょうね。
やはり旅立ってしまったお母さんには後悔の念もあるようで、
と話されている姿が印象的でした。
息子・福之助さんのブログでは、
「小さい時は、ほとんど休みの時は京都で過ごしていたので 祖母のお墓に久しぶりに行き懐かしいというか、すごく昔のこと思い出しました」
引用:中村福之助blog
とあるので、三田さんは子供が幼いうちは京都のご実家へよく帰省されていたみたいですね。
お孫さんと会えて三田さんのご両親もとても嬉しかったでしょうね。
大人になってからの方がお休みの度に会えていたようなので、思い出もたくさんありそうです。
三田寛子の兄弟は?
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三田寛子さんの兄弟としては、弟さんが1人いらっしゃるそうです。
弟さんの情報は、全くありませんでした。
しかし、三田さんが中学1年生の時に「弟が事故にあった」と嘘を吐かれ、誘拐されかけていたようなんです!
- 知らない男「あなたの弟さんが今、事故にあったのでお父さんとお母さんが病院に先に行ってるから一緒に僕の車に乗りなさい」
- 三田さん「お家に帰って見ないと分からない」と言い通し、振り切って帰宅。
- 家に帰ると弟が現れ、「お帰り~」と迎えてくれた。
危うくも振り切ったことで難を逃れたようですね!
弟さんもまさか自分がダシに使われていたなんて驚いたでしょうね。
誘拐犯は三田さんが弟がいることを知って計算した犯行だったと思うと、当時を考えるとゾッとします。
将来アイドルになる三田さんですから、中学生時代はきっと誘拐犯が目を惹きつける程可愛かったのでしょうね。
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- 名前:三田・寛子(みた・ひろこ)
- 本名:中村・敦子(なかむら・あつこ)
- 旧姓:稲垣(いながき)
- 生年月日:1966年1月27日
- 年齢:56歳
- 出身:京都府京都市
- 学歴:京都市立七条中学→東京都立代々木高等学校→明治大学付属中野高校定時制に転校
- 身長:160cm
- 血液型:B型
1980年に雑誌『セブンティーン』のモデルに応募し合格。
同年10月、ソニーのカセットデッキのCMへの出演。
1981年にTBSのドラマ『2年B組仙八先生』でデビュー(生徒・高坂ひとみ役)
まとめ
今回は三田寛子さんのご実家やご家族についてお伝えしました。
三田さんのお父さんは元呉服屋だったのが不況によりタクシー運転手に転身、子育てには厳しかったようです。
お母さんは現在は亡くなられていますが、生前は三田さんの心の支えで、弟さんは過去に事件に巻き込まれそうになっていたことなどがわかりました。
50歳を超えても尚、梨園の妻としても母としても輝いている三田さん。
今後の活躍も楽しみにしています。