お笑い芸人であり、作家としても大活躍の又吉直樹(またよし・なおき)さん。
いまや芥川賞作家の又吉さんですが、実家は長屋住まいで超貧乏だったようです。
自転車やおもちゃを買うこともできない幼少期で、父親は酒とギャンブルにハマっていました。
そんな生い立ちの又吉さんが芸人を目指したきっかけは、小学3年生の学芸会だそうです。
この記事では、又吉直樹さんの生い立ちについて、エピソードを交えてお伝えします。
又吉直樹の生い立ちが超貧乏で長屋暮らし!エピソードが凄い!

いまや、芥川賞を受賞し、億越えの印税を稼いだ又吉直樹さん。
しかし、その幼少期は貧乏な長屋暮らしで、自転車やおもちゃも買うことができませんでした。
そんな生活の中で、どうやって又吉さんが才能を開花させていったのか。
凄過ぎるエピソードを詳しく見ていきましょう。
家族5人で長屋暮らし

又吉直樹さんは子どもの頃、大阪府寝屋川市の四軒長屋で、家族5人で暮らしていました。
- 父親
- 母親
- 姉(4歳上)
- 姉(3歳年)
- 本人:又吉直樹

部屋数は少なく、又吉さんはお姉さん2人と同じ部屋で生活していたそうです。
姉弟3人で1部屋。
家の壁は薄く、隣の音が丸聞こえだったそうです。
プライベートなんてない、大変な環境ですね。
3つの超貧乏エピソード

子どもの頃の又吉さんが超貧乏であった3つのエピソードがあります。
- 焼肉屋でお茶漬けを食べる
- 自転車が買えない
- おもちゃが買えない
詳しく見ていきましょう。
1、焼肉屋では、肉ではなくお茶漬けを食べる

又吉さん家族が焼肉屋に行った時のエピソードです。
家族全員が思い切りお肉を食べるだけのお金はないため、母親は子供たちだけでもお腹いっぱいお肉を食べさせようと、
と言うそうです。
それを聞いた又吉さんは、
と言って、お肉を食べなかったそうです。
子供ながらに空気を察していた又吉さんは「お茶漬けが好きなふり」をしていたのだとか。
現在の又吉さんも気づかいの人、というイメージですが、子どもの頃から親を気づかう優しい人だったんですね。
2、自転車が買えない

又吉さんのお家は貧乏だったので、自転車を買うお金もなかったそうです。
周りの子どもが自転車に乗っているなか、一人自転車がない又吉さん。
自転車で移動する友だちのあとを、走って追いかけていたそうです。
母親は申し訳なさで心が痛んだそうですが、又吉さんは、
と言ったそうです。
又吉さんは、高校時代サッカーでインターハイに出場し、大学も推薦を受けられるほどでした。
その身体能力は、この頃につちかわれたのかもしれませんね。
3、おもちゃが買えない

又吉さんの家にはおもちゃが無かったそうです。
一度、親戚からファミコンをもらったそうですが、壊れてしまい、それ以来おもちゃは一切なかったそうです。
この時も又吉さんは、おもちゃが欲しいとは言いませんでした。
又吉さんは、家にあるもので工夫して遊んでいたそうです。
小学5、6年生の頃は、お笑いのネタを書き溜めていた
おもちゃが無かったからこそ、ネタ作りに集中できたんでしょうね。
芸人又吉直樹は、もうこの頃から誕生していたんですね!
又吉直樹の幼少期が貧乏だった理由は?

又吉さんが幼少期に貧乏だったのは、父親の酒とギャンブルが原因だったのではないかと言われています。
このような発言がありました。
父親がお酒好きでギャンブル好きだから、それを全部しなかった。
引用:mi-mollet
又吉さんの父親は水道の設備工で、母親は看護師だそうです。
お二人とも働いていて、そこまで貧乏な生活はなぜなのか不思議でしたが、
なるほど、お酒とギャンブル好きということなら納得ですね。
ともおっしゃっていたので、お金にルーズな性格だったのかもしれませんね。
父親は好きだが、反面教師

2021年1月8日の松居大悟さんとの対談で、又吉さんは父親についてこのように発言しています。
僕も父親のことは、好きは好きなんですけれど、反面教師にしていましたね。
引用:mi-mollet
またこのようにもおっしゃっています。
父親のことは好きだけど、尊敬ではない。
そんな又吉さんの複雑な気持ちがうかがえますね。
とはいえ、ちゃんと家族としの交流は保っているようですね。

又吉直樹が芸人になったきっかけ

又吉さんは小学生の時には、お笑いに目覚め、芸人になることを決意していました。
笑いについて2つの重要なエピソードがありました。
- 6歳、人を笑わせることに目覚める
- 小学3年生、学芸会のネタが大ウケ。芸人を目指す
詳しく見ていきましょう。
6歳で人を笑わせることに目覚めた

6歳の時、沖縄の父親の実家で宴会があり、踊っていた父に言われるがまま親戚の前で一緒に踊ったそうです。
そのたどたどしい姿がウケたのか、親戚一同から爆笑をさらいました。
その時、
と人を笑わせる楽しさに気づいたそうです。
沖縄では、上の画像のように大勢での宴会が多いのでしょうか。
6歳で笑いの楽しさに気づいた又吉さんでした。
でも、又吉さんは、その後の父親とのやりとりがトラウマになります。
宴会の後、台所で麦茶を飲んでいた又吉さんに父親は、
と一言。それに対して又吉さんは、
父親のその言葉がよっぽどショックだったのか、それ以来、人前で調子に乗ることが怖くなったそうです。
そのトラウマは強烈で、芸人になった後も30代になるまで客席に手を振ることができなかったのだとか。
又吉さんは繊細な子どもだったのでしょう。
何気ない父親の一言に深く傷ついたようですね。
しかし、又吉さんの笑いへの情熱は止められませんでした。
小学3年生で芸人を目指すように

又吉さんが芸人を目指したきっかけは、小学3年生の学芸会で大ウケしたことでした。
学芸会で赤ずきんなどの劇をやっていた時、台本を全部関西弁に書き直してみたところ、クラスメイトが大爆笑したそうです!
標準語で演じることに違和感を覚えた又吉さんのアイデアが大当たりしたんですね。
感動した又吉さんは、この日以降、芝居やコントを考えるようになったそうです。
つまり、又吉直樹さんが芸人を目指すきっかけは、子供の頃に周りを笑わせた成功体験だったようです。
そこからずっと、ネタを書き溜めていたということなので、その一途さがすごいですね。
お金がなくてもネタは書けるので、子供の頃の又吉さんにはピッタリだったのかもしれません。
まとめ
今回は、又吉直樹さんの貧乏な生い立ちについてお伝えしました。
又吉さんの幼少期は、物を満足に買ったり、食べたりできないくらい貧乏でした。
その理由は父親のお酒やギャンブル好きにあったようですね。
貧乏エピソードからは、又吉さんの優しい人柄や芸人になった背景も見えてきました。
才能あふれる又吉直樹さんの今後の活躍も楽しみです。