インパクトのある演技と存在感で、いま大ブレーク中の伊藤沙莉(いとう・さいり)さん。
お兄さんはオズワルドの伊藤俊介(いとう・しゅんすけ)さんで、2021年にM1グランプリファイナリストになるなど、兄妹で大活躍されてますね。
等身大の飾らないキャラの伊藤沙莉さんですが、幼少期の生い立ちが壮絶で、超貧乏だったようです。
父親の借金で一家離散になるなど、いまでは信じられないくらいの悲惨なエピソードがありました。
この記事では、伊藤沙莉さんの生い立ちについてまとめました。
【壮絶】伊藤沙莉の生い立ちが超貧乏?!エピソードが悲惨!

伊藤沙莉さんの生い立ちが悲惨ということですが、幼年期は超貧乏だったのは驚きですね。
それだけでなく、お父さんが破天荒すぎる性格で、それ故に色んな不幸が襲ってきます。
- お父さんが借金まみれの末に失踪
- 両親が離婚
- 家族が一時バラバラに
なかなか壮絶ですね。
そこで、残されたお母さんとお母さんの姉(叔母)が、一生懸命仕事をしてなんとか食べていたという状況でした。
しかし家族が一緒に住むには限界があり、住んでいた団地を出て兄弟はそれぞれ別の家に引き取られて一家は離れ離れになります。
お母さんは住む場所がなく軽トラックに住んでいたといいます。
こんな幼少期を経験されていたとは驚きですね。
伊藤沙莉が貧乏だった理由!父親の借金と失踪で母子家庭に

伊藤沙莉さんが貧乏だった理由は、幼年期に父親が借金をして蒸発したからでした。
その当時のエピソードを、2021年6月12日放送の「人生最高レストラン」(TBS系)に出演し、体験談を打ち明けていました。

この破天荒なお父さんのせいで、お金がなくなるだけでなく家も失ったようなんです。
家がなくなってしまうなんて、一般的には起こり得ない出来事ですね。
この番組では次々と衝撃エピソードが飛び出し、知られざる内容は世間をザワつかせました。
その時の予告映像【公式Twitter】はこちら
↓ ↓ ↓
#佐藤二朗 さんの #人生最高レストラン を見逃した方は #TVer で‼️1週間後には #Paravi でも独占配信‼️次回は #伊藤沙莉 さん🤩🤩🤩知られざる壮絶な過去とは⁉️是非ご覧ください‼️https://t.co/eWuj8ukRjB#tbs #加藤浩次 #サントリー #首切り王子と愚かな女 pic.twitter.com/2MrvwKqw1l
— 【公式】TBS「人生最高レストラン」 (@jinseisaiko1) June 5, 2021
番組を見た視聴者からは、「心にグッときた」「好きになった」という声が上がっていました!
伊藤沙莉さん大好きなんだけど、「人生最高レストラン」見て、もっと好きになった。
— mercurykao♛ (@mercurykao) June 12, 2021
伊藤沙莉さんが出演した、
人生最高レストラン観ました😊
面白かったし、苦労話にグッと来ました✨苦労されている分、
人に優しいんですね😌
バーでボスカフェベース飲んでいるのもクスっとしました☺️❤️CMでも登場してる伊藤沙莉祭り✨#伊藤沙莉 #人生最高レストラン pic.twitter.com/SuHzRKd2xJ— TW_GANOTA (@GanotaTw) June 13, 2021
人生最高レストラン見て改めて伊藤沙莉好きになった
彼女の話を聞いてると、悩みとか吹き飛んで自然と元気が出る
人生を楽しむ活力を与えてくれる#伊藤沙莉 pic.twitter.com/MTqhUvQhAz— サトミ@春一福島行きたい (@MczStm) June 12, 2021
経験談を知った視聴者に、勇気と感動を与えたようです。
父親が借金して失踪!

破天荒ぶりが半端ないと語られるお父さんは、元々は道路関係の会社を運営していたそうです。
しかしバブルの煽りを受け会社は倒産、大きな借金を抱えます。
倒産した一つの理由はこちら。
- 30人の外国人の面倒を見てほしいと頼まれ、受け入れることに
- 日本語も喋れない人ばかりでコミュニケーションがうまくいかなかった
このことについて伊藤沙莉さんは
と語られています。
「やらかした」と話されていることから、どうしようもない父だったという様子が伝わってますね。
会社が崩壊すると同時にお父さんは失踪し、両親は離婚することになったようです。
兄が語る「父の破天荒エピソード」

伊藤沙莉さんの兄である伊藤俊介さん(オズワルド)は、note(ブログ)にお父さんのことを詳しく書いています。
一言で表すと『稀代のポンコツ親父』で、周囲に後ろ足で砂を撒き散らかすようなトラブル男だったそうなんです。
ブログにはそんな”ポンコツ”お父さんの様々なトラブルエピソードが。
- 海賊並の酒呑み
- 『バブルが終わったことに気づいていない』ような調子こき男
- 『追われてるから帰れない』と謎の電話をしてくる
- お金がなくて改札から出られない
こんな風に「明日も生きていかなければならないということを忘れているかのような生活」をしていたといいます。
伊藤俊介さんが、お父さんと9年後に再会したときには、残念ながら咽頭がんの末期状態だったそうです。
出会いから半年後、お父さんは亡くなります。
これだけ家族に迷惑をかけたお父さんを憎んでいるのかと思いきや、亡くなられた時は好きだったことに気づいたと書かれています。
嫌いじゃなかったんじゃなかった。
大好きだった。
人としても父親としても。
なにしてもらったわけじゃないけど。
だってすごい面白かったから。
引用:オズワルド伊藤「note」
「ただそれは父親としてではなく人として」と続き、一言じゃ片付けられない複雑な心境が伝わりますね。
伊藤家にとって、お父さんに対するそれぞれの感情があることがわかります。
一家がバラバラに

お父さんが逃亡したことにより、残された家族はバラバラの生活を余儀なくされたといいます。
私は母の幼なじみの家、お兄ちゃんとお姉ちゃんは、お兄ちゃんのサッカー仲間の家に居候しました。
引用:エキサイトニュース
伊藤沙莉さんは兄弟と離れ、一人で預けられたようですね。
恐らくこの時期が一番ドン底で、お母さんと叔母さんはなんと軽トラで生活します。
お母さんと伯母さんは家族の為に朝から牛乳配達とするなど、身を粉にして働きほとんど寝ていなかったそうです。
そうして、3ヶ月が過ぎた頃、お母さんが新しいおうちを見つけて迎えに来ます。
とはいえ、新しいおうちといってもボロボロのアパートだったようです。
しかし伊藤沙莉さんは「それでも兄や姉は喜んでいた」と回想。
かなりボロボロのアパートだったのに(兄や姉が)『お城だ!すごい!』って言っていました
引用:エキサイトニュース
お母さんも努力が報われ「本当に頑張ってよかった」と言われたそうです。
やっと家族が揃い一緒に生活できるようになり、何よりの喜びだったことが伝わります。
みんな健気で泣けるエピソードですね。
「家」に対する執着

伊藤沙莉さんはこの当時の特殊な経験から『家に対する執着』を作り上げたそうです。
ようやく家族揃って、新しい生活を迎える伊藤家。
決して広い部屋ではなかったそうですが、とにかく嬉しかったと語っています。
「何より家族で住めるのが本当に嬉しかったんです。
布団3枚で家族5人で寝る感じでした。
むしろ皆を近くで感じられる。
ギューッてなるのがよくて、バラバラで寝ることは1回もなかった」
と家族水入らずの日々を懐古。
引用:エキサイトニュース
当時2歳の出来事だったのに関わらず「めちゃくちゃ覚えています」と振り返られています。
それだけ脳内に深く刻まれている記憶なのでしょうね。
このエピソードは「人生最高レストラン」でも語られています。

しかし、家族と離れ一人預けられた時は「なんで私だけ独りなんだろう」と複雑な心境だったようです。
この辛い経験から伊藤沙莉さんは「家を建てたい」という思いを持ったようです。
家族愛がとても強いですね。
「家を建てる」夢

伊藤沙莉さんの夢は、幼少期の辛い時期に支えてくれた、母と伯母への恩返しとして「家を建てること」でした。
「実家を建てたい。一軒家に憧れがある」
引用:エキサイトニュース
しかしお母さんは、最初は伊藤沙莉さんの申し出を拒んだそうです。
お母さんへの最後の一押しは『兄妹でお金を出す』こと。
伊藤沙莉さんが頭金を出し、ローンは「兄が仕事でいいところまでいったら押し付ける」というプランだったそうです。
それなら、とお母さんは最終的には納得してくれたんだとか。
ちなみにこの話を聞いたお兄さんは、
ギャラに差があることを晒しつつ、兄としてのプライドを見せていたようですよ。
お兄さんは、2021年7月にABCお笑いグランプリでチャンピオンに輝いています。
🏮第42回 #ABCお笑いグランプリ🏮
574組の挑戦者の中からチャンピオンに輝いたのは…˗ˋˏ👑 #オズワルド 👑ˎˊ˗https://t.co/j2kBoLsDza pic.twitter.com/AZhJI4FCgO
— 第42回ABCお笑いグランプリ🏆優勝は✨オズワルド🏆 (@abcowaraigp) July 11, 2021
オズワルドは確実に知名度をあげてきているので、ローン完済も夢じゃなさそうですね!
伊藤沙莉が貧乏から子役になるまでが凄い!

伊藤沙莉さんは9歳から子役として芸能界で活躍されています。
芸能界へ入るきっかけは、当時通っていたダンススクールの友達のお母さんからオーディションのお誘いがあり、「たまたま受かってしまった」からだそうです。
「絶対受かりたい!」という気概が感じられないのは、実は伊藤さんはダンスの道に進みたかったからです。
安室さん見ながら踊っている私を見て、親がダンススクールに入れてくれたんですけど、モーニング娘。さんにもハマってました。
オーディションも受けようとしたんですけど、4歳だったから全然対象年齢じゃなかった。
引用:文春オンライン
4歳からオーディションを受けたいと思えるなんて、当時からとても度胸がある子供だったようですね。
さらっとオーディションを受けさせてあげるお母さんも芸能界への理解があったみたいですね。
辛かった経験があったこそ、お母さんも伊藤沙莉さんのやりたいことを叶えてあげたいという気持ちが伝わります。
オーディションの内容がスゴイ!

こちらの画像は、デビューしたドラマ『14ヶ月〜妻が子供に還っていく』(2003年)出演の時です。
”見た目は10歳で中身は大人”という難役にも関わらず、堂々とした演技に当時は話題にもなりました。
このドラマのオーディションの時の様子は、インタビューで語られていました。
「ドラマはいっぱい観てたから、『14ヶ月』のオーディションの時に、頼まれてもないのに色んなドラマのモノマネをひたすらやったんですけど、「ヤバいヤツ来た」って(笑)」
ーー「どんなモノマネをやったんですか?」
「みにくいアヒルの子の岸谷五朗さんとか。
名ゼリフをとりあえずぶちかまして。
あとはなんか細かいことをやってましたね」
ーー「細かすぎて伝わらないモノマネみたいなのを」
「そうです、一人でやってる感じです」
引用:文春オンライン
オーディションで「細かすぎて伝わらないモノマネ」をひたすらやった、と言われていますね。
当時9歳の子が披露するには早熟すぎて、審査員に相当なインパクトを残したんじゃないでしょうか。
「ドラマで誰かがやってた仕草とかを真似していた」という伊藤沙莉さん。
小さな頃から根っからのテレビっ子だったことが功を奏し、今の素晴らしいお芝居のやり方に繋がっているようです。
まとめ
今回は伊藤沙莉さんの衝撃の過去についてお伝えしました。
両親が離婚し、借金を抱え、家を失って家族がバラバラになるというような壮絶な過去。
その経験を糧にして、ここまで成功されていて凄いですよね。
現在は確かな演技力でドラマ出演に引っ張りだこで、ますますテレビで見る機会が増えそうです。
これからの活躍を応援しています。